ウズベキスタン旅行記2006 ②シャフリサーブス [ウズベキスタン旅行]
次の目的地はシャフリサーブスShahrisabzであった。
シャフリサーブスはティムール朝の建国者ティムールの出身地の街で、古都でもあるらしい。
奥にみえるのは、アクサライ宮殿跡のアーチ。
このアーチには登ることができる。
登ると、こんな眺め。
とにかく、広い。。。
このあたりは、結婚式の記念撮影スポットらしく、
新郎新婦がいて、写真を撮っていた。
すれ違うと多くの人が、「何人?」「どこからきたのか?」と聞いてくる。
(勿論、言葉はわからないので、我々のガイドさんが「日本人ですよ。」と答えてくれるのだが)
結構フレンドリーな人が多かった。
向こうに、ドルッティロヴァット建築群。
やはりドームはあのブルー。
手前のフェンスにかかる布はスザニという、ウズベキスタンの刺繍布である。
そして次は、サマルカンドへ移動する。
車での移動中、動画を撮っていたので、本当は動画を載せればいいのだろうけど、
何かと大変なので、動画からのスナップショットを少し。画質が悪いのが残念。
車窓からは緑のオアシスがみえたり
乾燥地帯に点在する家々がみえたり
遊牧中の家畜がみえたり
見飽きることはないのです。。。
シャフリサーブスはティムール朝の建国者ティムールの出身地の街で、古都でもあるらしい。
奥にみえるのは、アクサライ宮殿跡のアーチ。
このアーチには登ることができる。
登ると、こんな眺め。
とにかく、広い。。。
このあたりは、結婚式の記念撮影スポットらしく、
新郎新婦がいて、写真を撮っていた。
すれ違うと多くの人が、「何人?」「どこからきたのか?」と聞いてくる。
(勿論、言葉はわからないので、我々のガイドさんが「日本人ですよ。」と答えてくれるのだが)
結構フレンドリーな人が多かった。
向こうに、ドルッティロヴァット建築群。
やはりドームはあのブルー。
手前のフェンスにかかる布はスザニという、ウズベキスタンの刺繍布である。
そして次は、サマルカンドへ移動する。
車での移動中、動画を撮っていたので、本当は動画を載せればいいのだろうけど、
何かと大変なので、動画からのスナップショットを少し。画質が悪いのが残念。
車窓からは緑のオアシスがみえたり
乾燥地帯に点在する家々がみえたり
遊牧中の家畜がみえたり
見飽きることはないのです。。。
ウズベキスタン旅行記2006 ①ブハラ [ウズベキスタン旅行]
ここのところちょっとした事情で、全く出掛けられないため、ブログを放置していたけれど、
まだあと1ヶ月ほどはインドア生活を強いられそうなので、
この機会を利用して2006年のウズベキスタン旅行を記録しておこうというわけで、
『ウズベキスタン旅行記2006』。
ずいぶん昔の(7年前!)話なので、すっかり行程は忘れてしまい、写真の撮影データのみを頼りにする。
けれども、中央アジアというところは、今でも私の中で、最も旅情を誘う地域で、
他のどこの地域より、またもう一度行きたいと思えるところ。
2006年の旅行は、駆け足のパッケージツアーであった。
そのうち、いつか、長い休みがとれることがあれば、個人旅行でもう一度ゆっくり行ってみたいなあ。
ウズベキスタンには日本から直行便(ウズベキスタン航空)があり、そう遠い場所ではない。
険しい山地を眼下に眺めたあと、首都タシケントに到着。
その後おそらく旧ソ連製ではないかと思われる古びた国内線旅客機へ乗り換え。。。
(非常に古い印象の飛行機だったが、何故かシートはヒョウ柄でなんだかキッチュである)
まず、旅はウズベキスタンの中ほどにあるオアシスの街 ブハラBuxoro から始まった。
イスマーイール・サマニ(サーマーン朝君主)廟。
近くの公園では、小さくノスタルジックな遊園地があり、
ピクニックを楽しむ地元の家族連れや、露天商の姿。
それまではすごく神秘的で想像がつかなかったウズベキスタンの日常の風景は
とても長閑で平和的なものであった。
バラハウズ・モスク。ちょっと珍しい木造。
アルク(城塞)。
ミル・アラブ・メドレセ。
空が目に痛いほど青く、そしてこの美しいブルーのイスラム建築。
典型的なウズベキスタンの美しさといえるのかも。
カラーン・ミナレット。
中庭にて。
とにかく、光と影のコントラストが凄い。
日差しは強烈だけれど、乾燥しているため、そこまで暑さは感じない。
こういう天候は、果物の生育に向いているらしく、葡萄、桃、ザクロなどいろいろな果物をみかけたし、
食卓にも、必ず果物のひと盛りが供される。
(美味しいのだが、食べ過ぎたのか、料理の油(綿花油)が合わないのか
私はこの旅行中も激しくお腹を壊してしまった。。。)
次は、陸路で東へ向かう。
まだあと1ヶ月ほどはインドア生活を強いられそうなので、
この機会を利用して2006年のウズベキスタン旅行を記録しておこうというわけで、
『ウズベキスタン旅行記2006』。
ずいぶん昔の(7年前!)話なので、すっかり行程は忘れてしまい、写真の撮影データのみを頼りにする。
けれども、中央アジアというところは、今でも私の中で、最も旅情を誘う地域で、
他のどこの地域より、またもう一度行きたいと思えるところ。
2006年の旅行は、駆け足のパッケージツアーであった。
そのうち、いつか、長い休みがとれることがあれば、個人旅行でもう一度ゆっくり行ってみたいなあ。
ウズベキスタンには日本から直行便(ウズベキスタン航空)があり、そう遠い場所ではない。
険しい山地を眼下に眺めたあと、首都タシケントに到着。
その後おそらく旧ソ連製ではないかと思われる古びた国内線旅客機へ乗り換え。。。
(非常に古い印象の飛行機だったが、何故かシートはヒョウ柄でなんだかキッチュである)
まず、旅はウズベキスタンの中ほどにあるオアシスの街 ブハラBuxoro から始まった。
イスマーイール・サマニ(サーマーン朝君主)廟。
近くの公園では、小さくノスタルジックな遊園地があり、
ピクニックを楽しむ地元の家族連れや、露天商の姿。
それまではすごく神秘的で想像がつかなかったウズベキスタンの日常の風景は
とても長閑で平和的なものであった。
バラハウズ・モスク。ちょっと珍しい木造。
アルク(城塞)。
ミル・アラブ・メドレセ。
空が目に痛いほど青く、そしてこの美しいブルーのイスラム建築。
典型的なウズベキスタンの美しさといえるのかも。
カラーン・ミナレット。
中庭にて。
とにかく、光と影のコントラストが凄い。
日差しは強烈だけれど、乾燥しているため、そこまで暑さは感じない。
こういう天候は、果物の生育に向いているらしく、葡萄、桃、ザクロなどいろいろな果物をみかけたし、
食卓にも、必ず果物のひと盛りが供される。
(美味しいのだが、食べ過ぎたのか、料理の油(綿花油)が合わないのか
私はこの旅行中も激しくお腹を壊してしまった。。。)
次は、陸路で東へ向かう。